こどもの「道」について

今、実家の埼玉県幸手市に帰省している。地元を歩いているとふと思うことがある。
道がふさがれているのだ。
と言っても、公道ではない。
こどもの「道」だ。
こどもの「道」とは、こどもが勝手に「自分たちの道」と指定し、通る場所一般を指す私の造語だ。うーん、まだわかりづらいな。具体例を挙げよう。家と家の間の隙間、用水路の蓋の上、場合によっては塀の上。つまるところ子供の背丈で通過できるところはみな「道」となりうる。
これらの道は、移動に利便性があって使用されることもままあるが、たいがいは「道を通ること自体が道の価値となる」。それらの道を通ること自体が一種のレクリエーションであり、娯楽であった。中には過酷な道もあり、落下の危険もある。ドブの間を蟹股で渡ることもしばしば。だが、かまいはしない。これは自分たちの「道」なのだから。
今でもその道を確認するたびに通りたい誘惑に駆られる。
だが、背丈が合わない。なにより確認できるほとんどのものが、ふさがれていた。

「こども」論に関してはいろいろ言われているが、子供自身が己を規定するものの一つとしてこどもの「道」があったのではと、今になって思う。彼らは、自分たちだけの道を作り、仲間でそこを通ることにより、自分たちを内部から規定する。彼らの「社会」がそこにはある。大人には運転免許があるように、子供には「こどもの道」という免許が、その背丈に応じてあったはずだ。それを取り上げる権利がわれわれに、「かつて子供であったもの」にあるのだろうか?
と、ここまで考えて思い直す。
まあ、私が心配する必要はなかろう、と。こどもの「道」がふさがれても、こどもは別の「あそび」を見つけるだろう。もしくはその束縛を逆手に取った、「さらに危険な子供の道」のスリリングを楽しむだろう。
そしてノスタルジーに駆られる私の前を、そ知らぬ顔で通り過ぎていくのだ。
その振る舞い、鷹揚さこそが「こどもという『道』」だと、私は思う。