初期話数とキャラクターのカンケイ 〜ハートキャッチの1〜3話でわかること〜

《ストーリーダイジェスト》
前回、祖母と珍獣の陰謀により、武闘集団プリキュアに加入させられたつぼみ。自分が思っても見ない「ヤバい方向」へとギリギリ捻じ曲げられていく焦燥から、ファッショ部頭領(ドージェ)のえりかを共犯に巻き込もうとする。だが「プリキュア、惰弱な!」と一顧だにせず、逆にファッショ部の勧誘活動へと駆り出される羽目に。「ファッショ部に入党すれば、制服のセンスと共に征服のセンスも磨かれる」と叫びながら校内で党の綱領を撒き歩く。だが相手にされない。さらに無理やり捕まえたサッカー少女にも「ファッショ?惰弱な!」と一蹴される始末。サッカーだけに。
怒りを力に変えてえりかはキュアマリンに変身。日本海溝より深い恨みと、ヴェネチアの干潟よりも浅い沸点によってサッカー少女を調伏する。キュアマリンの卓抜した戦闘センスと、苛烈なファッショファイト。その恐ろしさに、つぼみは恐れおののき、立ち尽くすのみであった。

ついに出ましたよ。キュアマリンが。
ストーリーダイジェストにも書きましたが「卓越した戦闘センス」です。変身してから敵を倒すのに一話まるまるかかったキュアブロッサムに比べ、変身後5分足らずの最短決着。キュアブロッサムはサッカーネットにぶつけられ、ボーゼンとたたずむだけでした。
この話の脚本構成、前回までの2話と対比して「実にウマイナー」と思います。上記のキュアマリンの行動力は作劇上、重要な役割を果たしているのです。
私たち視聴者は作品を見るとき、まずその「世界観」を理解することからはじめます。ですので、第1話、2話は世界観を語りながら物語る必要がある「制約の多い回」となります。この2話で、以降のフォーマットを形作り、かつ視聴者をそこに導かねばならない。
その必要性から、1話、2話は迷う主人公・つぼみに焦点を当ててを構成されています。
つぼみは引っ込み思案で、迷いながら行動します。なのでプリキュアという概念や世界観が提示されたとき、私たち視聴者と一緒に驚き、考えます。変身方法で戸惑ったり、名乗りを考えてなかったり、戦闘方法でまごついたりするつぼみの「とまどいの行動」は、彼女のキャラクターを理解させるものであると同時に、視聴者の代役としてのものにもなります。視聴者と同じ目線で世界観に反応し、それが「説明」になっているのです。
一方、3話は、突き進む主人公・えりかの回です。
この回ではプリキュアの概念、戦闘方法、世界観をえりかは「夢で見たから知ってる」と言い、プリキュアの変身方法、名乗り、戦闘などの概念を「すんなり」飲み込みます。そのすばやさは、ややもすれば「拙速」と捉えられそうなほどですが、えりかのいい意味でストレート、悪い意味では傍若無人なキャラクターがあるため「えりかだからな」「えりかじゃしょうがない」と、視聴者にも「すんなり」受け入れられます。
このえりかの「すんなり」は、つまるところ視聴者の立場と一致しているのです。
私たちが「新しいプリキュア」を理解し、その世界観に馴染むところまではつぼみが私たちに寄り添い、私たちの共感の対象として描かれます。そしてそれらが一通り理解された後は、えりかの「突き進み」によって余分な説明はスッキリとカットされます。私たちもえりかに寄り添いながら「既知の世界観の説明」に足をとられず、すんなり先に進むことができるのです。
つぼみの場合は世界観を説明することで、性格が描ける。
えりかの場合は性格を既に描いているので、世界観を飛ばすことが不自然に思われない。
うーん。ウマイなあ。さすがは山田隆司。次回の「ハートキャッチプリキュア!」も、テレビの前で正座ですよ。