水を与えるえりかと、花を咲かせるつぼみ 〜ハートキャッチプリキュア〜

〈ストーリーダイジェスト〉
「戦争においてもっとも重要なものは兵站(へいたん)。それを維持するものは糧秣(りょうまつ)なり!」と、ロジスティックの重要性を訴えるファッショ部頭領・来海えりか。彼女が糧秣の補給場として選んだのはラーメン屋だった。
しかし彼女が通うラーメン屋は、父子の諍いが原因で、息子による店の破壊活動が行われようとしていた。そこに登場した頭領。キュアマリンに変身すると「うぬの小義と、ラーメンという大義を混同するなど笑止。虫唾が走るわ!」一括。息子を容赦なく鉄拳制裁し、ラーメンに舌鼓を打つのであった。
そんなえりかの傍若無人さに、完全に信者と化しているつぼみはただただ尊敬のまなざしを送るのである。ラーメンをすすりながら。

今週もただただ感激。小倉で久留米ラーメンをすすりながら見ておりましたよ。
ダイジェストでは一貫して来海えりかの「覇道」を描いておりますが、実は私、「つぼみってカッコイイ」と、思っているのです。
「えー、なにいってんの。武器も多いし、率先してリーダーシップが取れるえりかのほうがカッコイイジャン」と、思われる方々もおられるでしょう。まあ、少し聞いてくださいな。
私が「つぼみがカッコイイ」と思うのにはわけがあります。それはつぼみが
常に人の苦しみを気づいてあげようとする子であり、
気づいたことを言語化してみんなに伝えようとする子であるからです。
つぼみは人々のの苦しみや恐れを敏感に察知します。そして、そんな苦しみを「ちっぽけなこと」とあざ笑うデザトリアンの幹部を、苦しんでいる人たちに代わって一括。相手の苦しみを噛み砕いて言語化する聡明さも持ち合わせているのです。
ここで「えー、そんなのあたりまえジャン。いままでのプリキュアだってしてきたよ、それぐらい」とのツッコミが入るかもしれません。まあ聞いて。この作品の特徴的なのは気づくヒロイン・つぼみの横に、気づかないヒロイン・えりかを配置している点なのです。
えりかは行動的なヒロインです。ですが、行動的な分だけ思慮が足りない面があります。1話ではつぼみに「字がちっちゃくてみえないよ〜」と無思慮に突っ込んだり、3話ではサッカー少女に「サッカーなんかやめてファッション部にはいろうよ」と誘ったり、4話ではパートナーとの関係に悩むテニス少女に「解散しちゃいなよ、新たなスタートだよ」と言い切り、5話では親子関係で悩むラーメン屋の息子に「この親不孝もの」と言い放ったりしちゃいます。行動力がある反面、相手の心に波風を立てる言動をついしてしまうのが来海えりかというキャラクターなのです。巷で「ウザかわいい」と言われるのも、彼女のこういった性格が起因しているのでしょう。
で、相手へのアプローチのきっかけをつかんだものの、その後にどうすればいいのかよくわからないのもえりかなのです。問題が複雑になると「う〜、わかんないよ〜」とか、「いらいらするよ〜」と唸ったり、決め台詞も「来週までにかんがえとくよっ!」ととっさに思いつけないなど、行動と言語の回路が少し離れているのこと伺えます。(馬鹿ってことじゃないよ)フットワークが軽いために、そのフットワークを理由付けることができないという矛盾も抱えてしまっているのです。
一方のつぼみは、自分から相手にアプローチすることはできないものの、相手の気持ちを思いやります。えりかによって開けられた相手との対話のチャンスを生かし、その隠された本心を推察することを得意としするのです。えりかのみでは波風を立てただけに終わる問題も、つぼみが考え、言語化することによって解決への道が探れるのです。つぼみの聡明さは、えりかの鈍感さと対比されることで際立ちます。いままでのヒロインでは当たり前だった「相手の気持ちに立って、相手の苦しみを言語化する」という能力も、それがうまくできないえりかという存在によって、つぼみの際立った「個性」として受け取られるのです。
二人の役割は、名前の如く水と花なのでしょう。
クラスメートの心の花が乾いた大地によって枯れようとしたとき、えりかがそこにアプローチする「水」となります。「マリン」(海)ですね。ですがその「水」は「水を差す」水でもあって、相手の問題には気づくものの、それを具体化したり距離を縮めることはできません。
そこでつぼみの「花」としての役割が重要になります。
つぼみはえりかの「呼び水」をきっかけにして相手の問題の核心に近づきます。そして解決方法を模索し、具体化するのです。水が与えられた花を剪定し、咲くことができるようにする。まさに「ブロッサム」(開花)なのです。
「マリン」と「ブロッサム」二つの役割が区分され、美しい対比を描くのが「ハートキャッチプリキュア!」という作品なのです。
たまらん、来週もモニターの前で輪王座(りんのうざ)*1ですっ!!

*1:如意輪観音が座るときの姿勢。左右の足裏をあわせる