伊勢物語

むかし をとこ、ありけり。*1そのをとこ、身をえうなき物*2に思ひなして、「京にはあらじ。あづまの方にすむべきくにもとめに」*3とて、ゆきけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。*4みちしれる人もなくて、まどひいきけり。*5みかはのくに、やつはしといふ所にいたりぬ。*6そこをやつはしといひけるは、水ゆく河のくもでなれば、はしをやつわたせるによりてなむ、やつはしといひける。*7そのさはのほとりの木のかげにおりゐて、かれいひくひけり。*8そのさはに、かきつばた、いとおもしろくさきたり。それを見て、ある人のいはく「かきつばたといふいつもじをくのかみにすゑて、たびの心をよめ」といひければ、よめる、*9
 からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ*10
とよめりければ、みな人かれいひのうへになみだおとして、ほとびにけり。*11

*1:男です。いつの世にも男はいます。雌雄同体のミミズ人間の惑星でない限り。ここでの「男」は在原業平(ありわらのなりひら)を指すといわれています。平安前期に実在したイケメンです。平城天皇王子・阿保親王(あぼしんのう)を父に持つ皇孫です。兄には大江広元毛利元就の先祖になった大江音人(おおえのおとんど)や、在原行平(ありわらのゆきひら)がいます。平安朝に名だたるビッチである藤原高子(ふじわらのたかいこ)などとロマンスを繰り返したドンファンです。

*2:「おれなんかいらない人間だぜ!!大人は汚い」と、校舎の窓ガラス割ったり、都を飛び出し、盗んだバイクで走り出す青春模様です。ですが、平安京にバットはないので杓でがんばって窓ガラス割ります。バイクも有りませんので牛車か徒歩です。しまらない。尾崎豊平安京に生まれないでよかった。

*3:「京にはいられねぇ。東の国へ新天地(フロンティア)を探すぜ!」ということです東部開拓です。『東方見聞録』です「おかーさーん。おかーさ−ん。おかーさーん」という連呼で終わるなぞのファミコンゲームです。ちなみに元ネタは『江戸川乱歩劇場 恐怖奇形人間』のラストの吉田輝男のセリフです。この時代、都ではなく新天地である東国や西国で一旗挙げようと下向していった人間が多かったのです。多くは留住国司(るじゅうこくし)として在地の有力者の婿になり、その地盤を引き継ぎました。芥川龍之介の『芋粥』で有名な藤原利仁(ふじわらのとしひと)とかも、その先駆的事例ですね。もっとも彼は京と現地を行き来しましたが。

*4:つれション感覚です。誘われた友人もありがた迷惑です。「ちょっとお花を摘みに」的なノリで、坂東まで600キロ近い旅をしたくは有りません。在原業平は何か弱みを握っていたのでしょうか?

*5:さっそく迷子です。無計画な旅は破綻を招きます。これが温暖、平坦な東海道ルートでまだよかった。この時代、京から東国へ向かうために東海道東山道の二つのルートがありました。現在の東名自動車道と中央自動車道にほぼかぶるルートです。このうち東山道ルートには魔の難所「御坂越え」(みさかごえ)があり、多くの行き倒れを出していました。天台宗の開祖・最澄があまりの悲惨ぶりに、休憩所を建立したぐらいです。業平一行の無計画なプランでは、行き倒れ間違いなしでしょうな…。

*6:今の愛知県知立市八橋町です。トヨタ自動車の本拠地・豊田市との市境近くに位置します。『伊勢物語』では以後旅程で迷ったという記載がないので、おそらく豊田市プリウスを購入し、ナビゲーション機能に頼って坂東までたどり着いたのでしょう。迷ったのが豊田市近郊でよかったよかった。

*7:蜘蛛手(くもで)つまり川の流れが幾筋にも分かれているので、流れごとに橋をつけた結果ジグザグに折れた橋になったのでしょう。これが有名な「八橋」です。原材料はニッキを練りこんだ固焼きせんべいです。それが川に掛かっているのでふにゃふにゃして渡り辛いことこの上なし。弱みを握っている業平のことですから友人たちを先頭に立てて渡らせたに違いありません。下流には「生八橋」があり、こちらは餅でできているので旅人は絡めとられて動けなくなります。いやはや三河国は恐ろしい。

*8:「かれ飯」乾きご飯です。昔の非常食、保存食として戦前まで食されました。この時代の旅は手弁当なので荷物も相当重かったに違いありません。おそらく連れション仲間は食料運搬のために誘われたのでしょう。許せん、業平っ。

*9:杜若(かきつばた)アヤメ科の植物です。私はいまだにこれとアヤメの区別がつきません。どうもカキツバタは水際に、アヤメは陸に咲くのが違いだそうで…。「『かきつばた』の五文字を句の最初に入れて和歌を作れ」とのお題。いままでこき使われた友人たちの業平への復讐ですね。

*10:「唐衣」(からごろも)の縁語が「着つつ」、「褄」、「張る」、「着ぬる」。これらが埋め込まれ、なおかつ最初の文字が「か、き、つ、ば、た」。2ちゃん以上の高等テクニックです。こんな句を即興で読む業平にしっとです。

*11:あまりの句のすばらしさと今の境遇に涙して、それが干れ飯の上に落ちてふやけた、みたいなことなのでしょうが、おそらくはジャイアニズムにあふれているくせに詩才もあるイケメンに対して「テメー、そんな才能があるなら東下りなんてする必要ねぇじゃんかよ。畜生め」と、付き合わされたわが身を嘆いての恨みの涙なのでしょう。かれらの今後の旅を思うと、私も涙を禁じ得ません。まぁプリウスがあるので東名自動車道を通れば夜までには隅田川に着くでしょう。