二本角(ドゥル)のカルナイン

アレクサンドロスはヘファイスティオン一人だけを伴って、(捕虜となったペルシア王ダレイオスの母の)幕舎を訪れた。するとダレイオスの母は、二人とも同じような衣装を身に着けていたので、どちらが王なのか見分けがつかないまま、ヘファイスティオンの方に礼をした。彼の方が背があるように見えたからだ。
(中略)
アレクサンドロスはしかし、彼女に声をかけ言った。


お間違いになったわけではない。この男もまたアレクサンドロスなのだから


                     アリアノスアレクサンドロス大王東征伝』

ヒストリエ(6) (アフタヌーンKC)

ヒストリエ(6) (アフタヌーンKC)

一年以上待った甲斐がアリアノス。今回もうならされることしきり。アレクサンドロスとか、イスカンダルとか、ドゥルカルナインとか、ヘファイスティオンとか…。
洋の東西を問わず、というより洋の東西を初めてつなげた人物であるアレクサンドロス大王は、あらゆる国、あらゆる民族にその地方ごとの名で呼ばれる。
ギリシアではアレクサンドロス、西欧ではアレクサンダー、ペルシア、アラブではイスカンダル、ドゥルカルナイン。中国では徂葛尼(ドゥルカルナインの音写)。
これほど多くの人種、民族にその地方ごとの言葉で呼ばれるのは、神でもエホバ*1やミスラ*2やヤマ神*3など、数えるぐらいのものだろう。
世界を初めて征服した英雄アレクサンドロス。彼はあらゆる地域にその足跡を残す。いつしかその足跡は彼の人格とは分断され、かれの属性(征服者、英雄)のみが人口に膾炙し、存在は抽象度を増していく。
彼の実像を探ろうとする人間は、彼にまつわる後世の思いを掻き分けて「人間・アレクサンドロスを抽出する必要がある。だが、その作業は当時の一次、二次資料をもっても困難だ。彼の後継者はアレクサンドロスを神とまつりあげたし、本人自身こそが自分を「アキレウス神の再来」と位置づけ、セルフマインドコントロールしてしまっている。生前から「分裂」は始まっているのだ。
しかし、岩明均は恐ろしい方法を考えた。
彼は分裂を、逆手に取った。
分割された属性を統合せずに彼を描き切る方法。
「一つにできないなら、一つにしなければいい」と。
寄生獣』の作者らしいコペルニクス的転換で、アレクサンドロス大王を描こうとしている。そしてまた、その方法こそが分裂し続けるアレクサンドロスを描くのに、もっとも誠実な方法でないかとすら、思われる。
コーラン』での彼の名称はドゥル(二本角)・カルナイン。
頭に二つの角を抱く異形の王、なのだから。

(ヘファイスティオンの死についての)アレクサンドロスの悲嘆ぶりについては、さまざまな人がさまざまに記録している。
彼の悲嘆がともかく尋常一様のものでなかったということは、誰もが書いているわけだが、そのためには具体的にどんなことが起こったかという点になると、


当の記録者がヘファイスティオンに好意を寄せていたか、悪意を抱いていたか


さてはアレクサンドロスその人にたいしてもどんな感情をもっていたかによって、


各人各様なのである。



                     アリアノスアレクサンドロス大王東征伝』

*1:ユダヤ、キリスト、イスラム教圏共通の神

*2:調停神だったりいろいろ。仏教ではマイトレーヤ弥勒ゾロアスター教ではミスラ。ローマではミトラス

*3:冥府の王やら黄金王やら太陽神の息子やら最初の人類やら属性過多。ペルシアではジャムシードゾロアスター教ではイマ。ヒンズー教ではヤマ。日本では閻魔