相対化される「人間」 −ローゼンメイデン・マンガとアニメの違いー
真紅完成。
ということで、この作品を語るにあたって逃せない論点。『ローゼンメイデン』という作品のマンガとアニメでの違いについて触れねばなりますまい。
たとえば
「ばらすぃ」と「きらきー」。
マイルドな蒼い子とハードな蒼い子。
「和風おじじ」と「洋風おじじ」。
「絆パンチ」*1のあるなし
まあ、数え上げればきりがありますまい。しかして私の考える両者の最大の違いは、
作品の視点がジュン視点か、ドールズ視点か。ということか、と。
アニメ版(特に無印)はドールズのミーディアム・桜田ジュンを軸とした物語構成となります。
これはアニメが一クールという限られた話数となっており、主人公を基軸として物語を展開していく必要があるためです。ドールたちはジュンよりも個性的に、活動的に立ち回りながらも、彼の「復活」のための「人形遊び」の役割に徹しています。ジュンが一歩前に踏み出すため、彼女たちは存在し、最終回でジュンの成長を見届けるとその姿を消します。つまり、物語の「主観」はあくまでジュンであり続けるのです。
かようにドールズを「寓話的」に位置付けるのが、アニメ版のローゼンメイデンになります。一方、マンガ版だと、この「寓話」は様相を変えます。
当初はジュンの成長のための寓話であったドールズたちの存在は物語が進むにつれて変化していきます。アニメ版ではジュンをはじめとしてミーディアム(媒介)たる人間たちの鏡としてドールズが存在しました。人間の移し鏡である、文字通りの「人形」として。マンガも当初はこの路線に沿って展開するのですが、三段階のステップを踏んで、その様相を変えていきます。
第一ステップは「翠星石、蒼星石」編とでもいうべき双子のドールを中心にした章です。
Rozen Maiden 新装版 3 (ヤングジャンプコミックス)
- 作者: PEACH-PIT
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/06/26
- メディア: コミック
- 購入: 5人 クリック: 55回
- この商品を含むブログ (53件) を見る
Rozen Maiden 新装版 4 (ヤングジャンプコミックス)
- 作者: PEACH-PIT
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/07/25
- メディア: コミック
- 購入: 3人 クリック: 36回
- この商品を含むブログ (41件) を見る
いわば、人間が人形の「寓話」と化している。
まあ、ここでの老人はサブキャラクターであって、話の中心ではないのですが…。第二段階では主人公自身の位置づけも変化します。
Rozen Maiden 新装版 7 (ヤングジャンプコミックス)
- 作者: PEACH-PIT
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/11/28
- メディア: コミック
- 購入: 3人 クリック: 109回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
そして第三ステップ。ヤングジャンプへの移籍によって決定的な「存在の地場転換」が生じます。
ジュンが文字通り「ヤング」に「ジャンプ」してしまうのです。
- 作者: PEACH-PIT
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/12/19
- メディア: コミック
- 購入: 10人 クリック: 53回
- この商品を含むブログ (117件) を見る
そう、人形だから。
人間は年とともに心や体を変えますが、人形は変わらない。そしてマンガという磁場の中では「変わらないもの」「普遍的なもの」ほど中心を得られる。
そう、ジュンは時間によって相対化され、ドールズの存在が「固有性」を持ってしまったのです。もはやジュンは「人間」というだけでは、いや人間だからこそ、主観を維持できなくなってしまった。
相対化された「人間」と「人形」の関係は「対等」になってしまったのです。
いやはや、PEACH-PIT先生は恐ろしい。こんなに「先」まで行ってしまった作品をキャラクターコンテンツとしてとらえるだけではもったいない話ですよ。
〈次回予告〉
次回は「『絆パンチ』に見るローゼンの筆法」というタイトルでお送りします。あと雛苺完成させる。