2011-03-28

10:08
今日は生類哀れみの令以上の悪法、にっくき神仏分離令がでた日です。そんなわけで鬱飲み屋、じゃなかった宇都宮なう。

10:36
大谷(おおや)なう。関東の塀をヘイ、わかりやしたと一手に引き受けている大谷石で有名な大谷なう。

10:38
大谷寺なう板東巡礼第十九番札所です。1月3日にも同級生の623さん後輩の宇多源氏くんと行ったので、四ヶ月振りぐりゃい。

11:13
金剛杖という巡礼用の杖を片手に白衣で巡礼しているんですが、このスタイルをしていると思わず「跳べ!必殺うらごろし」の先生ごっこをしたくなってしまいます。

11:16
先生といっても金八じゃありません。木枯らし紋次郎で有名な中村敦夫を主役にした時代劇で必殺シリーズです。中村敦夫は「先生」という日輪を信仰する謎の新興宗教者の役で、飛翔して、手にした杖で相手を串刺しにして殺します。

11:18
このうらごろしの殺しや三人衆が超豪華。中村敦夫市原悦子和田アキ子ですよっ、奥さん!和田アキ子素手で殴り殺し、相手の首を180度回転させるという今とまったく同じキャラ。

11:21
特筆すべきが市原悦子。記憶喪失の老婆の役なのですが、殺しのターゲットの前でおもむろに倒れ込む。親切心で相手が「ばあさん、大丈夫か」と駆け寄ったとたん、懐の包丁で相手を抉り(えぐり)殺す。市原悦子の存在が異様なリアリティをもたらしている恐怖の老婆です。

11:22
そんな必殺うらごろしのことをいつも考えながら巡礼しています。もういいかげんに頭から消えてほしい。

11:24
これから中禅寺に行き、京極堂こと中禅寺秋彦のイメージを上書きして中村敦夫には退散してもらおうと思います。

12:39
板東18番札所中禅寺なう。中禅寺湖の傍らにあるから中禅寺ではなく、中禅寺の傍らにあるから中禅寺湖華厳経に観音信仰のポタラカ山について述べられているので、流れる滝は華厳の滝ポタラカを日本語訳すると二荒(フタタラ)、漢字を変えると日光(にこう)。日光は観音信仰地帯なのです。

12:41
中禅寺を含めた日光は相当に古い山林修行の地であります。弘法大師もマイ詩集に日光山と開山の勝道上人(しょうどうしょうにん)のことを歌っています。

12:51
門前なう。このような非常時でも勝道(しょうどう)上人の遺徳を慕って、山林修行を望まんとするどうしょうもない衝動にはあらがえません。後ろは男体山http://twitpic.com/4e5qp2

13:46
滝なう。華厳の滝つせなう。今日はそこそこの水量があるみたい。どぼどぼ落ちてます。 http://twitpic.com/4e67uz

16:24
第十七番札所、出流山満願寺なう。門前町には蕎麦屋が広がっています。そのうち一件のさとやで遅すぎる昼飯。 http://twitpic.com/4e7b01

16:28
本日で栃木県(下野国)の札所をコンプリート。

17:40
奉納した痛絵馬の安否を確認に樺崎八幡宮によりみちなう。…無事でした。ニスを五重に塗り重ねたので風雪にもよく耐えてます。

19:25
今昔物語集なんかの説話集を見てて思うんだけど、近世より前の悲恋の結末は、心中ではなく片方の死と片方の出家というそれぞれバラバラの道行きなんだよなぁ。

19:26
六の宮の姫君なんかもそうだなぁ。

19:28
それが近世に心中が主流となり、現代までメインムーブメントとなっている。出家から心中へのパラダイムシフトにはいろいろ考えるべき点があると思うなぁ。

19:32
で、心中がメインストリームになるために必要だったのは、浄土思想による輪廻転生の打破だったんだと思う。

19:36
なぜか?心中を成り立たせるためには、死後二人が同じ世界に行くという前提が必要。しかし仏教とともに日本に根付いたインドの輪廻転生思想では、死後魂の道行きはバラバラ、この世界(娑婆世界)に二人が生まれつく可能性自体も非常に低い。このままでは一緒に死んでもさらに断絶は深まる。

19:39
したがって死んでいった、もしくは死にゆく相手に対してできることは、ともに死ぬことではなく、生きて出家し、追善を行うことで相手が少しでも居心地のいい世界、生物へ転生するよう供養すること。なので愛あるものの採る最良の手段は出家入道、追善回向。

19:42
中世のある時期まではこっちの「愛」がメインストリーム。これが心中に取って代わられたのは、西方極楽浄土をはじめとする浄土思想が輪廻転生思想に上書きされていったためだと思う。

19:45
浄土とは娑婆世界の遙か彼方にある別世界。ここでは如来や菩薩によって営まれ、そこに住む人々は輪廻のくびきからは脱していないものの、きわめて恵まれた環境にある。

19:48
阿弥陀如来西方極楽浄土がもっとも有名なもの。で、これら浄土の大きな特色の一つにその世界の如来を信じたり名前を唱えるだけで、浄土への片道切符が手にはいるという点。浄土への転生の絶対性が保証されていることで輪廻のくびきから解き放たれる。

19:50
この浄土思想の前提があって初めて「心中」という行為が意味あるものとなる。どちらかが供養しないでも、浄土への往生は必定だからだ。安心して死ぬことができる。

19:52
中世〜近世へのどこかの段階において、輪廻的な死生観が浄土的な死生観に上書きされて日本人のコモンセンスとなった時期があるはず。思想としての段階ではなく、無意識の段階で。

19:55
浄土教の広まった平安や、浄土宗の成立した鎌倉期では決してない。もっと後の段階。それを探る手がかりに出家→心中のパラダイムシフトを考察することで寄与できるのではないか。

19:56
日本人はいつから輪廻より浄土を強く信じるように「切り替わった」んだろう…。

20:11
これだけ自殺や一家心中がある日本を作り出したのは、浄土教的な「死んでもみんなが同じ世界にいける死生観」が寄与してしまっているようにも思います。あるいはこっちの死生観の方が仏教以前の基層的なもので浄土教によって逆に先祖帰りしたのかも。

20:19
ウッソ+カテジナキュウべぇですか。こんなの絶対おかしいですよ、カテジナさん!RT @miyamo_7: まどマギってシュラク隊しか出てこないVガンダムみたいですね

20:35
@Izumi_asato 相方が非業の死を遂げれば遂げるほど「後追いより追善供養しなければ」という意識が働くのやもしれません。残されたものによる供養は現代でも墓や仏壇で行っていますが、それも輪廻より鎮魂のためっぽい。平安時代ですでに輪廻と鎮魂は入り組んでいるのでわけわかめです。

20:44
@LDmanken 私もそのころが妥当なのかなぁと思っています。ただ近世以前なら幕府に弾圧される前の法華宗日蓮宗)の立ち位置が気になるところです。心中という形での成立に関しては実は男男間の「殉死」が男女間に逆輸入され「心中」になった可能性も考えています。

20:57
大丈夫、去年の春買った表紙がアレクサンドロスで、今買った表紙がヘファイスティオンだと考えれば許せる、何かが。RT @yamagenomu: ヒストリエの新刊が出た!って思って喜んで買った6巻が去年の春出たもので既に持ってた。

21:51
@LDmanken そうですね。説話文学だと仏家の手によって編まれたものが多いので、当時の人の意識の反映だと単純に考えられないわけで…。まだら色に抽出する事しかできなさそう。

23:58
RT @1059kanri: 信長が途中で現実に屈し、室町的な朝廷権威との合体で政権を樹立しようとしたのに対し、家康は「天下布武」を実現してしまった。この事はとても面白い


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