2011-03-29

12:24
RT @makiko21: 普段多くの人と接しているつもりの自分が、いかに「説明の要らない会話ですむ相手と」選択的なコミュニケーションを行っていたかということに気づかされる。「人と出逢い直している」。今、会話を通じて、そんなプロセスを体験しているように思う。

12:28
戦中の一億火の玉や竹槍などの精神論を批判しそうな人たちが、政治家や東電関係者を叩くときは似たようなロジックの精神論で「〜すべし」と言うのはなぜなんだろう。

20:06
自粛は「祈り」にはならない、同調圧力。そこに死者は介在しない、ただ横目できょろきょろしている生者がいるだけ。

20:09
やりたいのなら、それに自分自身で意義を見いだしているのなら自粛すべきかもしれないが、明確な志向と継続性を持たない限り「祈り」にはならないよ。

20:20
政治がなければ習俗に飲み込まれる、習俗がなければ宗教に飲み込まれる、宗教がなければ政治に飲み込まれる。三つどもえ。

20:29
この三つどもえ、アメリカなんかは「政治」が高く、日本は「習俗」が高く、イスラエルなんかは「宗教」が高い。

20:31
それぞれの国の国民になるためには、アメリカは合衆国の法を遵守し、日本は生活習俗に馴染み、イスラエルユダヤ教を信仰する必要がある。

20:33
この三つの資格のうち、実は一番習得するのが難しいのは日本。日本人がその困難さを自覚していないことが、その困難さを更に深めている。

21:26
「このやうに、所謂、傑作意識にこりかたまったひとの芸事はとかくまづく出来上がるものである」太宰治御伽草子』より

21:34
「性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます」太宰治『御伽草紙』より

21:37
RT @tukinoha: いじめっ子が「おまえ原発な!」と言ってホースで水をかけたりしているのだろう、と思うと胸が痛む。東電は謝罪と賠償をすべき。

21:53
太宰は言い訳をした後、照れ隠しのように逆ギレするが、それもまた言い訳で、本人もそれを自覚して茶目ているとこが、救いがなくてステキだなぁ。「科学精神とかいふものも、あんまり、あてになるものぢやないんだ。定理、公理も仮説ぢやないか。威張っちやいけねえ」太宰治『御伽草紙』より。

21:58
道化は道化であることが「呪い」なのではない。道化であると気づきながら、自分にすらお道化てしまい、入り口も出口も喪失させてしまう。その境地が「呪い」になるのだ。ホント太宰は一級品の「呪われた道化」だよ。

22:13
「藤蔓にすがつて谷をわたつてゐる人は、ただ向う側の花が見たいだけなのです。自分がいま冒険をしてゐるなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものは持ってやしないんです」太宰治御伽草子

22:16
太宰治を読んでいると、虚栄心強きもののみが真の虚栄心の糾弾者たりえる。というのがよく分かるなぁ。だからといって虚栄心を打破できないし、本人もできると思っていないところが不実でステキで真実だなぁ。

22:24
ルサンチマンの大海に溺れる者のみが、ルサンチマンの実相という藁をつかむ。だが、溺れ続けていることは変わらないし救いにはならない。それをほとりで眺めている者のために言葉を与えるだけなんだなぁ。その人らは溺れる者を見て気分を味わうが、別に救われる必要も、救われたいとも思ってない。

22:29
そういう「断絶」が、当事者意識の「欠如」が世界を豊かなものにしていると考えるのは、少々ネジクレすぎた見方かもしれませんね。ああいやだいやだ。


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