2011-04-06
00:20
@suicidkid うん、さがんないし別にいい。まじめにその通りにやられても困るだけ。「孔雀王」は神。
00:34
いらだちや喜びを小出しにするのではなく、溜めて、ちからに変える生き方をしたい。
00:38
感情に流されるよりも、感情のダムを作って流すような生き方をしたい。
00:41
どうやって「溜める」かが、問題になる。「こころ」の貯金の方法。ものはたやすく溜められるが、こころは簡単に溜められるものではない。日常と感情によって流されてしまう。
00:45
私はものを通してこころを規定するのが効果的と考えてきた。しかしそれだけでは志向がぶれてくる。ものでもこころでもない、第三の枷が必要だと思う。いまのところそれは「時」だと考えている。
00:48
時を「もの」化することによって、「こころ」を調整することができるのではないかということ。「時は金なり」という言葉はその意味で正しい。どういうことか?
00:54
あの言葉は「時は金程に大切なもの」と単純に解釈しているのではなく、「時を金銭と言う目に見えるものに例えて、『価値』として再認識しなければたやすく浪費してしまう、気付かずに」という、時を「もの」化することの効用を言っているのでは、と私は考えた。
01:00
時とは人生であり、貨幣よりも貴いものである。そんな理屈は誰でも知っている。しかしそんな理屈にとどまっていてはいつまでも時を捉えず、漠然と日々を過ごす。人生は尊い、だが、金に、モノに交換することができなければ「生のカタチ」を人に理解してもらうことは不可能である。
01:06
だから人は時計を以って、時間をオレンジの房のように輪切りにするのだ。年月週日時分秒と段階ごとにタグをつけて管理するのだ。時を「もの」化せずして、時の価値を測ることはできない。だからやっぱり「時は金なり」なのだ。
01:10
「もの」化って言うとオブジェみたいな意味にとらえられちゃうか、概念化と言った方がいいかな?
01:22
で、こころを溜めるためにどう「時」を「もの」にするか。概念のレベルではなく具体的に。それは「時に志向するものの名前を与える」こと。
01:26
一日に一分の時間、五分の時間、十分の時間、三十分の時間、一時間の時間。合わせて一時間四十六分を用意する。そして自分の「思い」のためにそれぞれのタームでどう時間を使えるか。具体的なものに落とし込めるか、毎日考え、訓練する。
01:29
それぞれのタームは一日のうちまったく別の時に用意するのが吉。毎日その時間帯を意図的にずらしていくのも吉。これを繰り返すことで時間を「もの」として意識し、それぞれのタームでできることが認識できるようになる。
01:34
この訓練は好きなことをする時間を確保すること以上に、それぞれの時間を自分の中で「価値」として再認識できる効果がある。つまり「時を金のように運用できるようになる」。時という財布の残りを気にするようになる。
01:36
一分ではこれだけのことを、五分ではこれだけ、十分では、三十分では、一時間では。と、一つの目的でそれぞれの時間を別個使うことで、「基準」とでも「自分の時間軸」とでも言うべきものができてくる。
20:29
関東ローカル三傑・平将門、太田道灌、二宮尊徳。現代でもローカルになかなか根強い人気の三人。
20:40
関西でこの四人に対比するキャラを考えると平将門=崇徳院、太田道灌=三好長慶、二宮尊徳=松下幸之助かなぁ。ロール的に考えれば。この三人が関西の三傑というわけではない。
20:41
書き直したはずなのに、また四人って言ってる…。
20:45
三人のキーワードは怨霊、先駆けなのにおいしいとこは後世に持ってかれる、宗教的な域にまで崇められる経世済民家。