2011-04-20

21:54
@suicidkid ほりいゆうじはドラクエ以前、ジャンプの御用作家で食ってましたからな。コネが大きかったんでしょうね。

22:24
人間の「心」を信じて、善悪有る無しを固定したいと躍起になるよりも、人間に「仏性」を観じた刹那を、そのただ刹那を喜ぶほうが、合理的だと思うなぁ。

22:32
でも、ある、なし。善悪で語る人間こそ「人情のある」人間なんだよなぁ。仏教の理論だけ援用して、信仰というかドグマの部分がない人間だとどっちつかずの海月になってしまう。

22:43
天才と秀才、英雄と能吏の最大の違いはその「理不尽さ」にある。

22:44
天才の理不尽は赦される。あまつさえ秀才どもがよってたかって天才の理不尽を強化したりフォローしたりしてしまう。

22:46
なぜか。天才や英雄の姿に、秀才や能吏は「自分」を見てしまうからだ。自分を投影するから、彼の行動をもって自分の欲望を満たすことになる。

22:48
人は我、自己中の世界からは逃れられない。他人のために犠牲となる行動の多くは残念ながら「利他の精神」からではない。他人に投影した自分のために、自分を犠牲にするのだ。

22:50
そして天才や英雄は偉大な自己中である。彼らは他人に自分をみない、自分にしか自分を見ない。他者から見れば虚空である。だからこそ他者は虚空に自分を見る。

22:54
ダイエー創業者の中内功北大路魯山人、漢の初代皇帝の劉邦のありかたには、天才や英雄というものの実体を思い知らされる気がする。

22:56
天才とは生き方であって、テクニックではない。秀才はテクニックであって、生き方ではない。

23:16
@LDmanken 王は自分でスペシャリストになる必要も、あまつさえジェネラリストになる必要もないと思っています。韓非子なんかも言ってますが、下手にそういうことをすると道を誤る。

23:23
@LDmanken 韓非子って諸子百家の書物の中でも「王」を造ることにもっとも特化されたものだと思っています。

23:32
@LDmanken LDさんの王は「王道」という意味合いを含んだ「王」でしょうか。私はどうしても覇道的な理不尽さを持ったものとして「王」というありかたを考えてしまいます。

23:40
私の王は自発的に行う生き方、理念としての「王」というよりは、制度、体制の一部としての「王」ですね。職業と言い換えてもいいかもしれません。自分で「かくあれ」と思って実行できるものというより、「こうなってしまう」傾向というか…

23:53
@LDmanken 私の「王」は生き方というより、理不尽に覆い被せられる、憑き物のようなものですね。韓非子はその理不尽をどう調律できるかに真摯に向き合った書だと考えています。孟子より現実の、君主として生きざるを得ない生き物の悩みに個別に向き合っている親切な書物だと思います。


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