2011-06-04

13:55
何故か自分の中では昔から、文人は文系、武人は理系という区分がある。

13:57
文人は「文字」に託して自分の「勢」を伸ばし、武人は「モノ」に託して自分の勢を伸ばす。

14:00
兵站とか築城などの武人が処理すべき数理の問題を考えると武人=脳筋という発想にはどうしてもならない。逆に文人の方が文字で築き上げた理念に現実を無理矢理沿わせようとする「文字の脳筋」だと思う。

14:06
王朝の創業者が大概が武人なのも、矢面に立たない人間を周りが信用しないという当たり前の理由の他に、文人とは違う数理的な「割り切り」ができるという点があるのではないか?

14:08
文字の使用が特殊技能でなくなった現代社会においては、文人の評価はどうしても低くならざるを得ないなぁ。詩文とか雅文とかはあくまで文字の運用主体ではなく、二次的なものだしなぁ。

14:12
文人の価値は下がったが、文人を理解できる人の層は圧倒的に厚くなっている。それなのに、いや、それだからこそ文人であるだけでは価値がない。テクニックというか公理を導き出す文人である必要が出てくる。

16:28
美浦村文化財センターなう。出土された猿投窯の墨書土器を見に行く。

16:32
ちがった。出土された土器は三つ。一つは新治窯跡で焼かれたもの、一つは猿投産の骨壺、もう一つが大伴の墨書が入った須恵器。

16:36
この地は志太郡の中心です。志太郡常陸国の郡のひとつで、源頼朝の叔父で、源義賢の同母弟・志太義広(しだよしひろ)の本拠地でした。


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