2011-06-05

12:10
今になってしきりに後悔している。ビジョンの描き方を身につけるか、学ぶかすればよかった、と。

12:12
ここでいうビジョンとはグランドデザインとか「理想」のはなしではない。物事を進めるにあたって「絵を描く」習慣をつけること、「落としどころ」の問題だ。

12:22
ここで唐突に夏目漱石の『夢十夜』の話になる。この中で運慶には木の中に彫刻の姿がそのまま宿っているという話があったと思う。あれと同じでモノゴトを完成させ続けた人間には、オカルトとは関係なく、完成に至るまでの「行程」が、完成像から演繹する形でしめされるようになる。そう私は思う。

12:24
これは純粋に経験の問題で、運慶の技術に驚く漱石と同じように、漱石に小説の完成のビジョンが見えるメカニズムに、運慶もまた驚くのであろう。時代は関係ない。

12:28
で、実はこのテクニック。凡人も天才も皆拾得することが出来る。イメージと完成像の齟齬は、その齟齬を自覚し、何度も修練することによって確実になくなっていく。それを端から見ている人にとっては神業かもしれないが、純粋に経験とフィードバックの問題なのである。

12:30
ビジョンを描くためには、繰り返しと成果のフィードバック。そしてなによりよき「手本」をあおぐことである。これ以外にはあんまり道はない。

12:34
習慣からしか職人も天才も生まれない。その中で才の差がでるのは手本を間違えないか、フィードバックが偏らないか。それらを繰り返し繰り返し、場合によってはいままでの自分を書き換えることになってもできるか?ということに尽きる。天才もまた効率の子なのである。

12:36
「好きこそのもの上手なれ」ということわざも、この繰り返しの輪廻をあきずに続けられるのは「好き」の思いが強いもの。という意味だと思う。

12:41
才能は量産(モノの数ではなく、思考と習作の回転数)によってこそ証明されると、私はどこかで信じている。故に寡作の作家よりも多作の職人を、案外無条件に信頼してしまう。

12:44
で、しきりに後悔しているのは、このビジョン観をもたずに生きていることである。普通の人間だったら持っているのである、けっこう当たり前に持っているのである。意識、無意識に関わらず。しかし私には決定的にこれが足りなかった。

22:10
めだかボックスのめだかの主人公としての役割が誰かに似てるなー、似てるなー、と思っていたらベジータ戦以後の孫悟空だった。

22:12
つまりは伝家の宝刀という意味で。通常のバトルではなかなか戦わせてもらえず、ここぞという時にしか出てこない。さらに敗北がまず許されない。

22:15
ドラゴンボールZでは悟空は動けないので、ストーリーの切り盛りについてはかなりの部分をベジータに頼っていた。彼は負けることも、敵になることも、あらゆる行動の自由を許されたドラゴンボールZのストーリー展開の上での「主役」だからだ。めだかボックスでは人吉善吉にこの役割が振られている。

22:17
で、今回球磨川が副会長として仲間に加わったことで、ベジータ(悪)の部分を球磨川に、ベジータ(善)の部分を善吉に割り振り、ストーリーを展開させることが出来るようになった。

22:21
つまりストーリーマンガがインフレをすると、主役を動かしづらくなってくる。そうしたときでもストーリー進めるためにベジータのようなトリックスターを保険として用意しておく必要があるんだなぁ。

22:23
長期連載のコツは主人公を育てるとともに、主人公を動かせなくなるまで消費しないように、動かしやすいサイドキャラ、それも陰性のもの、を育てる必要がるんだろうな。ライバルとか対立者ではなく、もっと複雑な動きをするやつを。


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