2011-08-25

19:58
60年代特撮のほうが、70年代特撮よりも様々な可能性と豊かさ、発展性を秘めているのに、それでも70年代特撮がよりリスペクトされるのはキャラクターコンテンツというものへの自覚が70年代にははっきりとあって、それを中心にキャラ配置、一話完結のストーリーが構成されていたからだと思う。

20:01
特撮の一話単位のストーリーラインの純粋な「おもしろさ」では60年代>ゼロ年代>70年代>80年代>90年代だと思う。

20:05
60年代特撮って、他の年代にはない「始原の普遍性」とでもいうべきものがあるんだよなぁ。子供向け、大人向け、ドラマ寄り、アニメ寄り、科学、土俗。どの枠にも所属できるような「未分化」の魅力がある。

20:07
ウルトラQ初代ウルトラマンって自分の中では強烈な「土俗」なんだよなぁ。逆に赤影やジャイアントロボ河童の三平悪魔くんなんかは土俗的になるはずなのに、ポップ。

20:10
これが70年代になると夏の怪談シリーズとか石堂の脚本とかで土俗、土俗言っているけどぬぐいようのないポップさ、キッチュさとグロテスクに支配されだしている。それがたまらん魅力なのだが、もう、なんか、土俗ちゃうねん。

20:12
拭い見れない土俗ではなく、表現するための土俗になっている。利用する土俗、武器としての土俗。「見せパン」のようなもの。70年代から怪人、怪獣はふわふわと空中に浮かびだす。

20:15
カネゴンの繭」なんか、作ろうと思っても作れないよな。あの作為的でない緩さと子供のコミュニティー描写は、もう手の届かないものになっている。

20:17
60年代特撮は自分がいつか見た「夢」の話な気がするが、70年代以降の特撮は誰かの見た「夢」を語られている感じ。

20:18
きっとリアルタイムで見ている人はこんな感想を抱かないんだろうな。50年近い自分が生きていない、遠い過去だからこそ、バイアスがかかる。

20:21
「可能性の市場」の話をすれば、やっぱり60年代を頂点に「特撮だけにできること」は先細りしてしまっているとおもうんだ。懐古厨というわけではなく。

20:22
70年代に特撮は大輪の花を咲かせたけれども、それは実は「アニメでもできること」だったような気がする。根本的な部分での多様性が増えたわけではない。

20:24
特撮という「技術」ではなく、特撮で描かれる「怪人、怪獣」に焦点が絞られてしまい、それに専業化したのが70年代以降の特撮の歴史だから。

23:47
このセカイで生み出されるキャラクターはきっとどこかに存在していて、そのキャラクターたちがこちらのセカイの私たちを生み出している。この永久機関はどちらかが物語ることをやめたとき緩慢と朽ちていき、ついには、なべて、たいらかに。世に「人」という物語は消える。

23:50
以上は私の妄想だが、過去と現在の関係はこれに似ている。過去によって現在の私たちは存在しているが、私たちは過去と一方的な形でしか交接できない。過去は現在を生み、現在は過去を語る。相互に一方通行である。

23:54
では未来はどうなのか。未来とは推測であり、目算であり、目安である。それは現在に属し、現在を計るために仮構される。しかしこの仮構でしかない未来と、触れることのできない過去しか我々は認識できない。現在にいながら心は現在そのものを考えることができない。

23:56
未来と過去の隙間に「イマ」があり、人は今を軸にして円を描くコンパス。コンパスに結わえられた芯は、決して針の中心に触れることはできない。イマとは、現在とはそういうもの。知覚の主体でありながら、知覚できない。


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