2011-08-26

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未来がイマになれば消失し、イマが過去になれば初めてそこに触れることができる。この知覚できない「イマ」をより知覚しようとするため、人は自分の死後の未来を推量し、自分が生まれる前の歴史をひもとく。コンパスを大きく広げて円を描くのは中軸の針の、イマの姿を見る為なのだ。

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イマとは見えない影(シャドウ)である、それは常に己とともに推移しながらその姿を伺うことはできない。自己分析や自己理解とも違う。たぶん人格のことでもない。イマはイマなのだ。

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こうなってくると知覚できる過去と未来の方が実体に見え、イマは幽霊のようなものに思える。しかし実体がないから膠着する、運動を止めるのであり、自由に推量されるのである。過去と未来は仮構故に、実体の如く推量される。イマは実相故に、虚なるものとして推量できぬ。

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運動を止めているものが、推量できるものなのだ。人の人格や業績の評価が定まり、それが揺るぎなくなるのは、彼が運動をやめて推量されるモノになったあとだ。すなわち死んで初めて推量の支配下に置かれ、実体のように扱われる対象になるのだ。

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イマが続く限り、生き続ける限り。容易く状況は変化し、未来の推量ははずれ、過去の予測はゆらぐ。その人に関する「予断」は裏切られる。だが、私たちはお互いに常に殺し合わなければならない。推量という形で相手の運動を止めねばならない。「安心」とは「イマ」という状態から目を背けること。

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我々は推量すること、過去と未来「で」予断することで相手の運動を止める。相手を固定したものとして扱う。すなわち相手を「殺して」いる。生きたままで、イマという状態で咀嚼することは不可能であるからだ。

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イマという「生」にそれぞれが生きながら、お互いを知覚するためには過去と未来に押し込め、相手を「殺して」からでしか理解できない。もし、あいてのイマをそのまま知覚できる人間が現れたとしたら、我々死肉喰いの人類は逆に、彼のことを理解できないだろう。彼は我々を理解しているにも関わらず。

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人の次の進化があるとすれば、過去も未来も使わずイマだけで知覚できる人間だと思う。けものとはもちろん違う。

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そういう人類に、自分の「イマ」を知覚されたらどんな気分なんだろう。きっと過去にすがっても、未来を夢見ても、逃れられない。言い訳ができない、地獄のような気分になるんだろうな。

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逆に考えれば人間「らしく」生きるためには、相手の効率的な「殺し方」=過去と未来の抽出の仕方を学べばいいんだな。それも最大公約数で。

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自分はこの人間「らしく」生きる。最大公約数を知覚するっていうのが、どうしようもなく下手なんだよなぁ。やんなる。

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明日の空海密教美術展第二回戦に向けて出品目録、総一言感想づくりの筋トレ。目標は1時間で終わらすこと。

23:53
一言感想づくりが終わったら。一斉にTwitterで流します。空海展の参考にでもどうぞ。


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