2011-08-28

07:19
情けは人のためならずという言葉を「人の為じゃなくて自分のためになるんだからやったほうがいいよ」という推奨程度に受け止めている人が多いと思うけど、そんな生やさしいものではない。日本では「情け」を使うことのできない人間は生きることができない。

07:28
たぶん学校の勉強や礼儀作法がなくてもかろうじて生きていけるが、「情け」がないと見なされたら生きていけない。さらにたちの悪いことに多くの人が情けは先天的に備わっているものという孟子の言葉を信じているが、情けは学ぶものであり、多くは後天的に身につけるものだ。荀子が言う如く。

07:30
孟子性善説を採ると、「情け」というものへの取り組みに甘えがでて、それを鍛えるのを怠る。そういう意味では私は荀子の「性悪説」を信じる。情けは油断することなく何歳になっても獲得する努力をしなければならない。学校の勉強よりもずっと学び続けねばならない事柄だ。

07:32
荀子「人の性は悪にして、その善なるものは偽(後天的な学習)なり」、なのだ。人間は善人に生まれてくるのではない、善人に「なる」のだ。

07:35
教育とは生存のための手段であり、生存にもっとも必要なのは情けであり、したがって情けこそマニュアル化したり、改良したり、磨き上げたり、とにかく取り組まねばならないモノなのだ。ひょっとすると「情け」という曖昧なニュアンスの言葉がその必然性というか切迫さを感じさせないのかも。

07:37
「情け」は現代においては別の言葉に置き換えた方がいい気がする。そうじゃないと油断する。ただ「情け」、「情け」言うだけで身につくような生やさしいものではない。フィーリングのように見えるがだらだらとしていて獲得できるものでは決してない。

07:40
日本の戦後はこの「情け」というものの教育システムを、油断や無理解によってグズグズと腐らせていった年月だったと思う。

07:42
人情なんて、綺麗なものじゃないよ。お涙ちょうだいでもないよ。それは必然であり、過酷に要求されるものなのだ。金銭やモノなんかよりもよっぽど非人間的なまでに要求されることがあるよ。昔の「情けない」という言葉に込められたニュアンスはたぶん今よりハンパないよ。

07:44
人情の様式にそわないと、人情の振る舞いをしないと、首をはねられるんだよ。それは封建社会の話じゃないよ、現代の話なんだ。

07:47
「情け」を言い換えると「心情的な部分での貸し借りをきちんと察知して計上化できて、返済する能力。さらに相手に貸し付けるぐらいの意識を常にもつ」。これに尽きる。心という金銭の決算をきっちりとする能力のことなのだ。

07:50
昔の人は情けや心は金銭で、それは意識して取り引きしなければならないという自覚がきちんとあった。武田信玄の「人は石垣、人は城」という言葉は人情とかの乙女趣味やお涙ちょうだいの言葉ではなく「情け」をモノ化してきちんと把握する必要があるという峻厳な言葉なのだ。

07:53
昔の人たちは現代と比べ情けや助け合いの精神があった。これもよく言われることばだし、たしかにそう。しかしそれは「心の情感や喜怒哀楽の精神が豊かであった」ということではない。心の収支決算の管理がしっかりできたし、しっかりすることを苛烈に要求された時代だったということだ。

07:56
ここらへんの「情け」を「ぬくぬくとした甘え」というか精神的依存とごっちゃにして語るから、訳が分からなくなる。「情け」とは「依存」の対義語なのだ。

07:58
だから逆に現代において「情け」を意識的に学び、公式化し、高める努力をすることは何よりも武器になる。子供に施すべき教育には何をおいても「情け」を優先すべきではないか。

08:04
あと、「思い」と「情け」も違う。「感情」と「情け」もちがう。情けがある事を証明するには思うだけではダメでアクションをしなければならない。思い「遣り」で初めて「情け」と=(イコール)になる。

08:15
ホント、情け(精神的金銭)を要求されすぎると金銭(物質的金銭)でつながりたくなる。金銭でつながりすぎると、情けでつながりたくなるんだろうな。

10:09
電王といいオーズといい、最終回がすばらしい仮面ライダーはみんな茨城県庁でラストバトルをしているなぁ…。(身内贔屓)


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