2011-12-24

12:21
「物語」で不幸な分岐へ至ってしまったキャラクターは、どうしているのだろうということをたまに考えます。

12:24
どういうことか、選択肢があるゲームなんかでは、ハッピーエンドのほかに無数のバッドエンドが用意されています。これらは、ハッピーエンドにキャラクターが至った時点で、なかったことにされます。が、並行世界としてバッドにいたったまま終わったキャラクターが存在すると、考えてしまうのです。

12:27
選択肢がない物語にもこの「不幸なる並行世界」は存在します。たとえば落語の「たがや」や、宮戸川など、バッドな部分を改変したり、夢落ちにしたりする物語群です。

12:30
禍福並行した作品は、ハッピーエンドにいたっても一抹のバッドエンドの残滓を残している。いや、私の並行世界ではバッドエンドが主流で、ハッピーエンドの部分がすたれているかもしれない。分岐とはヤヌス神のような二つの可能性を常に内包した存在なのです。

12:34
本当にハッピーエンドにするためには、不幸な分岐を、並行世界を打ち捨てるのではなく、それの末もすべてが幸福につながるように加工しなければならない、ただし夢オチ以外で。不幸の並行世界を断ち切るのではなく、それすらも継続し、その末の道がハッピーエンドでなければならない。

12:38
こういう分岐そのものへの問いを根本的に掲げた作品は、私の中ではライアーソフトの「forest」かな。ハッピーエンドではないが分岐はメビウスの輪のごとくに繋がっている。結末が実は「ない」物語。

12:41
ゾロアスター教の終末は、地獄に落ちた者も最後には楽園にいたる点で、このあらゆる分岐の末のハッピーエンドに近い気がする。本覚思想や密教もこの形だよな、最終的には。

12:46
そうなると浄土宗の成立には本覚思想が必要になるよな、やっぱ。密教や天台本覚思想の「あらゆるものがハッピーエンドの可能性を持っている」を経過しなければ、全てのものをハッピーエンドさせることに特化した思想は成立しない気がする。

12:46
まあ浄土はハッピーであるけど「エンド」じゃないんだよな。

12:49
あらゆる分岐をもらさず幸福にする試みは、すでに紀元前から行われていましたとさ。ここらへんの思想構造を勉強すればエロゲーに新しい分岐を持ち込めるかもしれない。

12:52
ここらへんの問題と絡めて、物語が並行世界スレスレの低空飛行を続けている、涼宮ハルヒのオチも気になるところ。

12:53
マンガだと「成恵の世界」だよな、やっぱ。ただしこれは不幸を改変するのではなく、不幸を自分の一部として組み込んで、並行する世界のみんなを「すこしだけ幸せ」にしようとしている。

12:54
これは終わりに至る物語じゃなくて、「継続」する物語だよな。

12:59
そういえば密教的世界観では「悟り」はあるが、「終わり」はあるのだろうか?大日如来が分裂、集合して「供養マイセルフ」を続ける限り終わらないよな、この宇宙。

14:14
中銀カプセルタワービルの見本が埼玉県立近代美術館に寄贈されるらしい。これでまた一つ珍しいイスがふえるな。

14:16
でも、あれだけじゃ宇宙船の脱出ポッドみたいなだけで、カプセルタワービルのもつイクラの卵のような複合的不気味さは伝わらないよ、な。

14:16
メタボリズムは日本キメラ建築の春、だよなぁ。

14:18
中銀カプセルタワービルがなくなると、またひとつ、貴重なメタボリズム建築が国土から失われていくんだなぁ。


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