2012-09-17

00:19
別に自分がオタクだろうがリア充だろうが、どうでもいいんだけど、頼みもしないのに外側に「抵抗勢力」をでっち上げて、「自分と同じ敵を想像しろ」って奴とは仲良くなりたくないなぁ。しかも想像するだけで、戦う気なんて、ねぇのそいつら。

00:22
「自分と同じ敵を想像しろ、そいつらと戦う方法はこうだ」っていう人間は、想像させるだけの人より信用できるかも。高学歴の人間がオウムに転んだのって、世間が敵を想像することを焚きつけながら、ぬるま湯の言説を繰り返しているのに対して、敵との戦い方まできちんと用意してくれたからだろうなぁ。

00:25
結局みんな「抱え込んで」ほしいんだよなぁ。それは大人も子供も変わらないよ。原因と結果を、因と果をパッキングして、他者に用意して欲しいんだわ。
カリスマっていうのは、このパッキングを自然にできる人間なんだろうな。でも、その人間について行く人が洗脳されてるだなんて、全然思わないよ。

00:29
会社も家族も、パートナーも、結局はこのパッキングの問題に突き当たると思う。それは「預ける」ということ。必要なのは「預ける」勇気じゃなくて、「預かる」勇気。オタ的な言説によく見られる周囲を仮構する営みは、「預かる」ことから己を遠ざけて、いつまでも預ける側にとどまっている感じがする。

00:32
この半年で「預かる」ちからのある人間の言葉はだいたい分かるようになってきた。そこから翻って、「預ける」だけの人間の言葉もわかるようになりつつある。
年齢とか結構関係ない。預かることのできる人間は、若い時から、そう。

00:35
ー社会がこうだから車が持てない、結婚しない、子供を作らない、○○であり続けるetc…
結局「預かってほしい」人の言葉なんだよね。全部。

00:38
ネットの一人称であり二人称であり、三人称ですらある「おまえら」。嫌いな言葉じゃないけれど、預けたい人間の言説にも「おまえら」の単位で迎合することは、嫌いだな。

00:40
まあ、度量とか、甲斐性って言っちゃったほうがいいんだけどね。
でも、高倉健みたいなウェットな甲斐性は実は嫌いで、それは相互に輔弼しあい、甲斐甲斐しくし合っていくべきだと思う。役割分担。

00:43
でも、「抱え込み合戦」になると、不毛な争いや見栄になるわけで、そこを、軽やかにやれる人は美しいよね。

00:45
@tukinoha2 何かありましたか?

01:34
@tukinoha2 そやね。ここで言うことも陰口みたくなっちゃうかもしれんもんね。失礼しました。

02:20
片付くときは片付く。それもあっという間に。窺い知れぬ運命の波が自分を浚う。その瞬間に怯えて生きても、怯えたように瞬間はやってこない。
予兆や予言。現代社会は「予」というものにあまりにも敏感で臆病で、それによって、予を得体のしれぬ化物へと肥え太らせている。

02:24
私は肥大化した「予」に制限されて生きる羽目になった人間の群れを「可能性の悪魔に憑かれた人々」と呼んでいる。日本は決して貧しくない国だが、この可能性の悪魔を脈々と太らせていったこと。それは、他にはあまりない「貧しさ」である。

02:26
「健全な絶対性」を疎外してきたことで、私たちは「モノ」ではなく「心」を貧しくしていった。
私はそれを、「物質文明のせい」にはしたく無い。むしろきわめて精神文明的な営為である。

02:42
党を為すか、塔を建てざれば、意は人間(じんかん)に沈まん。

02:59
従順な「だけ」の人間は、特権的な地位を与えられると思いきや、その従順さ故に、後回しにされる。そうなってはじめて彼らは「自分の従順さへの見返りが無い」と牙を剥く。
もう少し早くその牙を見せていれば、決しておろそかにはされなかったであろうに。

03:02
逆に従順なだけの人間を重用して、牙のある人間を遠ざける組織や人間は、胡散臭い目で見た方がいいと思う。結局当人のキャパシティのなさを露呈しているだけなのだから。

03:04
ホント、生きるためには牙を見せなきゃいけないなぁと、思うこの頃。牙が無いと思われることこそが何より生存の危機につながるということを、身をもって知ったよ。

03:08
ジャブの打ち方を学んでおかないと、牙を剥く=キレるという短絡的な発想になってしまう。振れ幅や対処は、やっぱり動物的な「イキ」が残っている。それはキレるキレないという二者択一ではなく、その間にいく筋ものルートが入っているということ。

03:15
こういう肉体的な選択の部分も知的営為の一種である。そうなると亀井勝一郎の「哲学するならあんま運動とかスポーツをしないほうがいい」というコメントには、「はぁ、ナニイッテンスカ」と思ってしまう。肉体の延長に思弁があり、それは頭脳と総則関係にあると思う。

11:12
英彦山寺は、形としては延暦寺筑波山寺みたいな、一山回遊の基点寺院だよな。対して白山平泉寺や竈門山寺は山系縦走用の起点寺院。
そこを中心に回るか、そこが入り口かの違い。

22:31
親方様に奉納する支援絵が完成した。

23:15
支援絵完成。かなり縦長。 http://t.co/QEywsxRa


http://t2b.utilz.jp/