サヨナラサンカク、マタキテシカク。
三角に参画せずして、四角を視角の内に入れる。そこに形而上の意味を見出すか、はたまたその手は桑名の焼蛤あたりのローリング・接頭語・ストーンなのか?いやはや。
いずれにしても一度去った三角は元の三角にあらず。一度来た四角も別の四角やもしれん。それなのに三角に明白な別れを、四角に明白な再会を喜ぶ。その「主体」は彼等をどのように弁別しているのであろうか。カタチを基準により分けるのか、はたまたサーモグラフィー画像のようにあらゆる物体の真奥が「三角」か「四角」かを見分けることが出来るのであろうか。まこと不思議なり。