地上1メートルの社禝

今、祖父の三回忌のため、山口県の離島にいます。

この島は長島(ながしま)といいまして、近世は朝鮮通信使や、北前船の往還で栄えていました。難太平記の作者・今川了俊もこの島を歌に読み込んでいます。
祖父の墓はこの島の高台の、そのまたいっとう高いところにあります。周防灘を一望するなかなかの景勝地。快晴ならば四国・佐多岬も臨めます。
この一帯は共同墓地で周囲にも墓が百近くあります。その中には土に埋もれ、頭のみを地面に露出させたものがありました。銘文には宝暦の年号が彫られており、今から二百年以上遡るものであろうことは推測できます。
祀るものなき墓は石でありながらなお、土へ埋もれゆく。
高さ1mにすぎないこの石は、家族の、そして社禝のありかたを明確に象徴してしまいます。
家を守り立てること、死者を祀ること、これら血族全体の生を指して社禝(しゃしょく)といいます。人はこの中で生き、死んでいく。情とともに生きる生命体ならば、単性生殖でない限り、この連関からは逃れられません。
社禝を護ること、即ち祀社(ししゃ)は、人間のありかたを外側から規定します。その有り様、祠社のスタイルが血をかたちづくり、遺伝を明確にする。科学的な優性、劣性遺伝よりもなお、我々の生存に直接関係するのは社禝なのです。
世界宗教がどれだけ社禝中心主義を否定し、人類愛、無分別を説こうと、人は社禝へと戻っていきます。そして博愛を食い潰します。「死ねば仏になる」といった言説や、冠婚葬祭にコミットするように、いつでも社禝内部への愛。身内愛へと還っていく。コスモポリタンに人間をしてはおれない業こそが、人間の本性です。
なので、我々は大抵の場合、社禝のありかたで、他人を、その家族を判断します。
人から忘れられ、土に埋もれゆく墓。それは墓の下の死者の死であるとともに、祠社の死。その死者を媒介としたコミュニティの崩壊でもあります。数百年前のコミュニティが崩壊するならまだしも、今を生きる人間が死に、家族がその死体を朽ちるままにまかせ、然るべき在り方で社禝を行わなければ、かつそれに正当な理由がなければ、他人はその血族を不信の目で見続けるでしょう。
科学よりも、なによりも、我々の生のありかたに強く影響するのは非科学的な社禝なのです。
個々の社禝を成り立たせる共同体が会社。
個々の社禝を祀る集団(家族)が寄り集まって形成されるのが社会。
土に埋もれゆく墓はそんな社禝のありかたを、人間の博愛の限界を私に考えさせてくれます。
それでも、祖父の墓が永くありますように。まだ見ぬ親の、そして私の墓が永くあれますように。(余所の墓より)
と、祈ってしまうのが無常、無分別を奉ずるはずの、仏教徒でありながらの私の限界です。