第十二『説難』

竜は動物である。飼いならして乗ることもできる。
だが、その喉の下には逆さまの鱗(うろこ)がある。
もし、これに触れれば、竜は必ずその人を殺す。
君主にもまた、この逆さまの鱗がある。
説く者は、この逆鱗(げきりん)に触れぬように注意さえすれば、
君主の信頼を勝ち得ることが出来よう。

                                韓非子『説難』

『説難』(ぜいなん)の末尾で説かれていることばです。故事成語『竜の逆鱗に触れる』の元ネタでもあります。本来であれば、これが結論に来るのですが、ここを出発点にして説いたほうが問題がシンプルになると思ったので、冒頭に挙げました。何故なら、問題の「核」がここにあるからです。
物事を行う際、まず確認すべきは「やるべきこと」ではなく「最もやってはいけないこと」。君主に道を説く際、人に話をする際、もっともやってはいけないこと。それは「逆鱗にふれること」です。
そこから導き出される「やるべきこと」は「相手を怒らせることなく話を進めること」になります。更に一歩進めれば「相手に寄り添った話をすること」となります。前回の最後に挙げた、

説くことの難しさは
説くべき内容を「知る」ことにあるのではなく、
自分の意志を「明らかにする」ことにあるのではなく、
技巧を使って「解きつくす」ことにあるのでもない。
説くことの難しさは
説くべき相手のこころに、己の説を沿わせることにあるのだ。

                                  韓非子『説難』

という言葉が、ここで生きてきますね。しかし勘違いをしてはいけません。相手に寄り添うからといっておべんちゃらや当たり障りの無いことを繰り返していただけでは、「俗っぽい言葉で、逆らわないでいると、『命惜しさにへつらっている』と思われます」と『難言』で韓非が述べたようなことになります。阿諛追従(あゆついしょう)、右顧左眄(うこさべん)では、相手を気持ちよくは出来ても、自分の伝えたいことを相手に伝えられないのです。かといって、自説を強情にまくしたてれば「逆鱗」に触れることになるやも知れません。
韓非は、こう提案します。

およそ説く者がわきまえ置くべきことには、
相手の誇りとしている部分を飾り、
相手が恥じているところを消す、
相手に私的な欲望があれば、
公的な義でそれを強めてやり、
相手が心で卑下しながらやめられないことは、
その美点を飾り、やめてもたいしたことは無いとせよ。
相手が憧れ、かつ行えないことがあれば、
行うことの欠点を挙げ、行わないことを誉めよ。
                                                  韓非子『説難』

「結局、おべんちゃらじゃないかよ」。いえいえ、ここでポイントとなるのは「君主の情動に対して、こちらが理由を付与する」という点です。ただの阿諛追従だったら、首を縦にノッキングしていればいい話ですが、ここで韓非子が推奨しているのは、「相手の欲望を、こちらが巧みに理論武装するということ」です。つまり、相手の個人的欲望を見抜き、一段高いところにデコレートして飾り立ててあげるのです。
これを繰り返すと、君主は「コイツだけが真実のおれをわかっている。傍から見たら取るに足らないようなことを言っていると思われがちな俺だが、こいつだけは俺の高邁な思想を汲み取って言葉にしてくれる」と思うようになります。
ヘイ、最初ッから人間に高邁なものなどないのです。君主の言葉を巧みにトランスレートし続ける調教の成果です。韓非が更に上手いのは、

君主の行いを誉めるときは、同じ行動をした別人を誉めることだ。
君主の計画を正したいときは、同じ計画をした別人を正すことだ。

                              韓非子『説難』

そう、巧みに「ズラす」のです。君主に直言すれば逆鱗に触れるようなことは「知り合いに○○という人がいるんだけど…」と、さも他人の話をするように述べ、その行いを誉めるときにも、他人を引き合いに出すことで、偽りの公正さ、第三者的な視点、ひるがえっては歴史的意義までも演出するのです。
これらの手段で相手の信頼を勝ち取りさえすれば、『説くこと』は容易になります。君主の欲望をデコレートすることでいつの間にか自分が考えた施策へと変換させたり、反論を唱えるときも「第三者の話」とすることで、衝突を緩めることができます。
つまり「説き難きを説くため」には、
相手を怒らせることを最大の禁じ手とし、
相手の土俵に立ち、
相手の言葉を飾り立て、
相手がこちらの意を、さも自分の意だと勘違いするぐらいに、
説く必要が、あるということです。
以上に述べた韓非の『説難』。これをもっとも知悉し、人の口を己の口のようしてに生きた人間を私は知っています。秦の宦官・趙高(ちょうこう)という男です。
次回は秦帝国の成立と韓非思想の影響について述べたいと思います。