第三十三 外儲説 左下

晋の解孤(かいこ)は自分の敵を趙簡主に推挙し、大臣とした。
その敵は思った。「解孤は幸いにも自分を許してくれたのだ」と。
そこで彼の家を訪れて感謝を述べようとした。しかし、解孤は弓を引いて射掛けてきた。
「おまえを推挙したのは公(おおやけ)ごとであり、(おまえが)国政に当たるに有能だと思ったからだ。だが、おまえを怨むのは私(わたくし)事。私の怨みでお前の才をわが君に対して隠すことは出来ない。私怨は公の門には入れないのだ」

私、この話が好きなんですよ。「公平」を感じます。
今回取り上げた説話では解弧は自分の敵に悪意をもちながら、一方でその人物が有能であると判断しています。彼を嫌いぬいていながら、その感情によって相手を評価する目まで曇らせてはいないわけです。なので「感情」ではなく「能力」で相手を評価し、王に推挙しました。韓非子の説く能力主義がよく現れています。
ですが、私が真に興味を惹かれるのはそこの部分ではありません。
解孤の敵は彼が自分を推挙してくれたことでこう考えたはずです。「解孤は自分を憎んでいたが推挙してくれた。つまり解孤の自分に対する恨みはなくなったのだ」と。
しかし事実はまったく逆で、感謝を言いにに訪れた敵に対し、解孤は弓を射掛けて襲い掛かります。そのときに解孤が述べます「公私混同はしない」と。
解孤が彼を推挙したのは、怨みが薄れたからでも、寛恕(かんじょ)の精神に目覚めたからでもなく、ただ彼が優秀であることを知っていたからなのです。つまり優秀な人材を私的な怨みから排斥するのは「公の精神」にもとると考えたからなのです。
したがって怨みの心は残ったままです。「私の精神」は彼を怨んだまま、「公の精神」は彼の有能さを認めることが出来る。しかし、認めるといっても「融和」するわけではない。
ここに道学に堕していない「潔癖さ」を私は感じます。
相手の全てを受け入れる必要はない、かといって相手の全てを否定することはできない。「全てを許す」という目標設定は、タテマエとしては非常に美しいですが、実現不可能です。それよりも「自分はここまで許せるが、こっからは許せない」という明確なラインを自他共に示すことが出来る人間の方が、いかほどか「親切」なことか…。
儒教の祖・孔子はここらへんが凄いきっちりした人で「自分の性向に反して、無理に振舞いすぎるな」という趣旨の言葉を何度も繰り返しています。「巧言令色鮮(すくな)し仁」という言葉にしても、自分の「本性」から浮遊した言葉によって、「自分」を喪失してしまうことを戒めています。
「無理につくろわなくてもいい」という教えの実戦は、実は凄く難しいことなのです。見栄を張るとかいうレベルではなく、人に合わせて追従したり、愛想笑いをすることも「つくろい」に入ります。空気を読むのももちろん見栄です。皆のために自分を殺すこともそうです。
公(おおやけ)に対しては、自分の怨みを忘れて最善を試みても、私的な空間まではそれは及ぼさない。「怨むものは怨んだままにしておく」。人間は分かり合える生き物だが、分かり合うために他人の、そしてなにより自分の「ありよう」までも歪めてはならない。
このサジ加減の難しさは、古今東西変わらない気がします。かつ、そこを考え続けることが「仁」ではないか、と。

韓非子 (第3冊) (岩波文庫)

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