下「地」のおわり -風雲児たち-

もし幕府と朝廷が対立した場合、武士(サムライ)であろうとすれば幕府につくのがスジなのだ。


水戸学はそれを無視した。


後年、佐賀藩すら幕府を見限っていくなかで


会津だけは最後までどちらも守ろうとした。
                          みなもと太郎風雲児たち

風雲児たち (3) (SPコミックス)

風雲児たち (3) (SPコミックス)

三巻までの『風雲児たち』の仕事。それは「地」の下地(したじ)を作る事にあった。
地すなわち風土である。日本津々浦々に芽生えた「お国意識」は、近世の人々の精神を規定する根本原理となる。
古代以来の律令行政国とは違う、その意識は「藩」を中心に醸成される。幕末・多くの志士たちは藩という小国家に規定されながら、そこを飛び越え、「日本」を獲得する。しかし、その獲得への道行きには、彼ら自身をアイデンティファイする「藩」が必要不可欠なのだ。
藩を否定するためには、まず己が「藩士」であることを誰よりも強く認識する必要がある。
したがって、幕末の志士たちを、日本の回天を描くためには、まず「志士」たちを規定し、アイデンティファイしたそれぞれの国、つまりは「藩」を描かねばならない。
で、「藩」を描くためには、幕末の状況だけでなく、その藩自身をアイデンティファイした根本原理にまで立ち返らねばならない。つまり、「藩の成立」を描かねばならないのだ。
風雲児がここまでの三巻をかけて描いていたものは、「地」とは、つまりそういうことなのだ。こんな長大な下ごしらえ、よくコミックトムの編集者が承知したなぁ…。
一巻では、幕末の雄藩として表舞台に立ち、明治政府の中心となった薩長土三つの外様大名(とざまだいみょう)の成立と、その原動力となる関ヶ原でのルサンチマンを描きました。
二巻では、300年の徳川幕府の成立と、その根本となる徳川家を、二代将軍・秀忠の決意を通して描きました。
そして三巻。ここでは徳川家に寄り添いながら、徳川家を激動の渦へと巻き込んだ二つの親藩大名(しんぱんだいみょう)・水戸徳川家会津松平家の成立と、彼らを規定し続けるある「精神」を描きます。
ひとつは、徳川光圀によって提唱され、徳川幕府を倒壊させる思想的根拠となった「尊王」思想。
ひとつは、保科正之によって醸成され、会津を不退転の闘いへと導く事になる徳川家への絶対の忠誠。
親藩によって生み出された二つの思想のストライプ。これが幕末を彩り、各藩は床屋のサインポールのように、この間を行ったり来たりする。
この三巻で、「地」は踏み鳴らされ、いよいよそこに人が生まれる、人が飛ぶ。
四巻からは、風雲児たちは新たな局面へと向かう、「天地人」の「人」。今までが地の下ごしらえならば、ここからは「人」の下ごしらえ。幕末の人間たちが、何故「国事」に奔走したのか。彼らの国とは?攘うべき「夷」とは?尊ずべき「皇」とは?
何故、幕末、人々は尊皇攘夷を唱えながら、開国欧化し、場合によっては天皇の権威を無視する「立憲君主」国家を打ち立てる羽目になったのか。この腸捻転(ちょうねんてん)を語るための、壮大な準備が始まる。近世を駆け抜けた「人」。かれらと一喜一憂することで、我々の意識も幕末へと向かう。
これより17巻かけて、「風雲児たち」は「人」を語るのである。
それもただ語るのではない。
人を語るための準備として、「人」を語るのである。
いやはや。脱帽。