山田おろちについて

昨日作ったビーフストロガノフをもさもさ食べながら、今日も金月龍之介です。たぶん明日も金月、明後日も金月でしょう。何故ここまで金月龍之介に私は拘るのでしょうか。今日は仮面ライダー電王があったからその話をしたっていいのに・・・。いえいえ、それはなりませぬ。やはり一筋縄ではいかぬ脚本家兼、小説家兼、エロゲ作家の金月龍之介について自分の中で総括しきらねば、先へは進めないのでアリマスよ。そう、今日は金月龍之介の裏の顔・山田おろちについて触れてみます。
金月龍之介がエロゲにコミットする際は山田おろちの変名を使用します。といっても世間を欺くための理由ではなく、ただ単純に「カッコイイから」だそうです。その外聞を恐れぬありよう、なんだか尊敬です。意味は日本神話のヤマタノオロチのもじりから来ているのでしょう。この名前で金月もとい山田氏はPUSH!!のようなエロゲー情報誌にちょこちょこ顔を出したり、「ジサツのための101の方法」というデンパゲームの脚本を書いたりするのです。ああ、そう。山田おろち名義の金月氏は、普段の堅実にしてスラップスティックな作風を脱ぎ捨て、デンパヲユワンユワンユワンブチマケテイラッシャルノデス。
「ジサツのための101の方法」は今はなき(というか製作無期延期)公爵(デューク)というメーカーから2001年に発売されました。「灰色」と呼ばれるノイズに心を犯されていく主人公と、それに劣らずただれたヒロインたちの地獄絵図らしいのですが、残念ながら私まだ未プレイです。三大デンパゲーム*1との誉れも高いらしいので一刻も早くプレイしたいのですが、ウィンドウズXPだとうまく動作しないらしい、無念。
デンパがユワンユワン飛んでたり、野良猫を集めてふくろにつめて高いトコから落としたり、腸かっさばいたり、いろいろありえない描写が多そうです。金月龍之介名義で脚本を書いている作品は対立や葛藤はあっても、根本的に「悪」と呼べる「悪」は存在せず、全キャラクターが理由をもってそこにあるという本当の意味でのヒューマニズムにあふれた作風なのに、山田おろちになった途端、男女とわずに血しぶきが飛び上がるのは何故なのでしょう・・・。
ひょっとしたらデンパの果てでもなお、いやデンパの果てにイッてしまった人間の立場すらも金月氏ヒューマニズムで捉えようとしているのではないでしょうか。ここで言うヒューマニズムとは「正しい人間観の押し付け」ではありません。人間が、あるがままに、なしえるがままの、ありとあらゆるソドムとゴモラを「人間のあり方」として認識し、そこにレッテルを貼らないということです。
まなびストレート」の第八話でもまなびと敵対するはずの理事長は実は兄の恋人であり、悪人ではない。まなびの署名に協力しない生徒たちも日々の生活を自分のため送っているだけで悪人ではない。そしてもちろんまなびたち生徒会も、悪人ではない。
フタコイオルタナティブ」にしても、主人公を地下レスリングに追いやるヤクザは同時に主人公とのゆったりとした付き合いも続けているわけで、悪人ではない。毎回起こる事件も地味な探偵行が中心で、必ずしも「悪人を退治すること」ではない。
「善人」を探すのは難しいけれども悪人はどこにもいない世界。金月氏が描きたいのはそんな世界なのではないでしょうか。そしてそれはデンパ世界にも適用される。そこで多くの人間がデンパによってまたは己の意思で罪を犯す。しかしそれにも悪というレッテルは貼らないのでしょう。そう、氏のヒューマニズムは同時に狂気をも肯定してしまう懐の深さを持っています。それゆえに、
タチが悪い。



追伸
次回の山田おろち名義のエロゲー「キュラキュラ星人東京に現る」(仮題)の発売が間近だと、六月に金月氏自身によって公表されました。
しかし、あれから、九ヶ月。音沙汰がありません。また延期でしょうか。それよりも何よりもタイトルの「キュラキュラ星人東京に現る」って、
パイラ星人かよっ!*2

*1:終ノ空(ケロQ)、ジサツのための101の方法(公爵)、CROSS†CHANNEL(フライングシャイン)の三作を指す。らしい

*2:1956年公開の映画「宇宙人東京に現る」に出てきた岡本太郎デザインのヒトデ型宇宙人。キカイダーのヒトデムラサキにそっくり