「罪を憎んで人を憎まず」の意味が、今日はじめてわかった気がする

描くか描かないかよく分からない漫画『伴大納言』*1のプロットについてチロチロ考えていたとき、なぜか「罪を憎んで人を憎まず」の意味が分かりました。
今まで、私は「罪を憎んで人を憎まず」の意味が分かりませんでした。「何で人を憎んじゃいけないの?」「罪なんて抽象的なものに、憎しみの対象を落としこめるわけないじゃない」「死刑があるのも、復讐があるのも、人が『憎しみ』を形にして処理する必要がある生き物だから、当たり前じゃないか」ってね。
でも、この言葉「情けは人のためならず」と同じく、「自戒」のためのものだったんですよね。
例えばAさんとBさんという人がいたとしましょう。AさんとBさんの初期の関係はニュートラルなものとして、お互い恨みも好意も抱いていない状態と考えてください。さて、ある日Aさんは自分の家の鉢植えを誤って落としてしまいました。そしてそれがBさんの頭上に落ちてきました。Bさんはそれにぶつかって怪我をします。
このとき、Aさんに対してBさんはどのような思いを抱くか?
当然、悪感情に近いものを抱くでしょう。何せ、急に頭上から鉢植えを被せられたわけですから。「自分には復讐する権利はあるよね」とか、思ってしまいますわな。
ここで大切になってくるのが「罪を憎んで人を憎まず」という言葉です。
ここで「罪」とは、「鉢植えをBさんの頭に当てた」という罪です。これはAさんの過失ですから、「罪を作った」ギルティメイカーはAさんということになります。…なりますか?…本当に?
考えてください、Aさんは決して故意にやったのではなく、過失として起こしてしまった、ということを。つまり「未意の行為」なのです。これを短絡的に行為者=罪と結びつけることをこそ、「罪を憎んで人を憎まず」が戒めている点なのです。
鉢植えをぶつけられたBさんにしてみれば、当然「行為者=罪」と、心境はおもむきます。それまでAさんに好意があったのならともかく、フラットな状態で被害を被ったのですから、当然悪意のほうにメーターが向かいます。しかし、ここで一呼吸置いてほしいのです。
あなたは
「その時、その場所で起こった事故」に「罪」が所属すると考えますか?
それとも
「その行為を起こしたAさん」が本質的に「罪」を有していたと考えますか?
私は「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉は、上記二つを「常に分けて考えよ」という戒めであるという結論に至りました。どういうことか?説明します。
未意の行為であった場合、人は「その時、その場所で起こった行為」に罪が所属すると考え、「その行為を起こしたAさん」に責任はあるものの、Aさん自身が「本来的に罪を有する人間」とは考えません。被害を受けたBさんであっても、素直に謝られれば罪を憎んで、Aさんを憎まないでしょう。表面的には。
ただし、「相手の罪を無意識に蓄積」することは、止められません。
BさんはAさんに対してこの事故以降「私に鉢植えを落としたAさん」というイメージを心のどこかに残したまま、生きていきます。それ以降のAさんとの付き合いにおいて、この事実を勘案して付き合っていくでしょう。わずかに、ではありますが。そしてAさんが汚名を返上しない限り、相手をマイナス寄りに見続けるのです。
この行為を「何とかして、意識的に、やめよ」と訴えているのが「罪を憎んで人を憎まず」です。頭の中で「未意の行為」を無意識に罪としてカウントするのは、こちらの利息として数えるのはやめろ、ということ。
意識では「事故」であることを認められるのに、無意識では「相手の罪」としてカウントしてしまう。それが昂じると、人間関係を築くとき、相手の「罪と罰」を常にカウントするように無意識に思考するクセがつくようになる。人間を見る時に「罪のカウンター」を無意識に出現させてしまうのです。だから、意識的に「罪を憎んで人を憎ま」ないように、調教する必要があります。どうやるか?
それは、罪を人の血液ではなく、衣服と考えることです。
「罪」が人を引きずることは本当です。罪が重ねれば重ねるほど、罪に近づくのも本当です。しかし、それは自分の「罪」に対する自己認識のみにすればいいのです。自分ではない「他人」との付き合いのときに、その罪をまるで「血」のように扱わなくてもいいじゃないですか。罪はTPOとの関連性によって起こる「モノ」。着せ替え可能な「服」であって、それを起こす人の「本質」ではない。「所有物」に過ぎないのです。だからこそ禊ぐ(みそぐ)こともできる。それを忘れると、人と会うとき、友人と会うとき、家族と会うとき、その人と自分の関係性を「善悪」で判断することになる。自分の立ち位置を明確化しないまま、相手の罪を無意識にカウントするようになります。
そうではなく、人の「罪」や「恨み」をあげつらうのは、その場限りにして、次に会うときはニュートラルに出来るように努力する。
人は罪を背負って生まれてくるのではない。罪を数えることで罪を生むのだ。
その、無意識の、カウントをやめよ。
罪を、数える、罪をつむな。
「自分に対する相手の罪」は貯金できないと、考える
「相手へ与える自分の罰」も貯金できないと、考える。
罪と罰に貯蓄や利息を持ち込まない。少なくとも自分の心には。
それが「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の本質かなぁ、と。難しいけど。

*1:続日本後紀』から『日本三代実録』までの公卿と皇室の動きをまとめたシリーズとして構想。主役は橘嘉智子藤原良房狂言回しが小野篁。ヒールが藤原良相伴善男。不思議ちゃんが嵯峨天皇